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2016/08/18

WORKERSのこれまで 証言者鎌田さん編

9月10〜11日に開催されるPopup Shop
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これに伴い、TCBのこれまで、WORKERSのこれまで。お互いの出会い、そしてこれから・・・といった対談記事を数日にわたりアップいたします。
基本的に先行してアップされたworkersのblogと同じ内容になりますが少しだけ写真を追加して御紹介出来たらと思います。
話は前後しますが、ここでTCBに会う前。WORKERS舘野何故服に興味を持ったか、どうやって児島に来たのか、そのあたりのお話です。

あともう少しでこの対談記事も終盤になりますが,東京カレンダーの連載の如く途中から会員限定になるんじゃないかとドキドキしながら私も読んでおります。

WORKERSの歴史編

TCB:では今度はWORKERSの番ですね。

WKS:どこから話しましょう?

TCB:まず、WORKERS舘野さんが服に興味を持ったきっかけってなんなんです?

WKS:高校時代のBOON(雑誌)かな。今でも覚えてる、たまたま高校の体育祭の日の朝コンビニで買って「今ノンエアが熱い!」だっけかな?NIKEのスニーカー見てかっこいいなぁと思ったのが最初か。高校が付属校だったので、小学校・中学校から来たお坊ちゃんが多かったんよ。

TCB:毎月24日発売のBOON。私も新聞配達のバイトの後にそれをコンビニで買うのが一番の楽しみでしたよ。WOREKRSはその学校は中学から?
※私が中学時代から大事にしてる90年代のBOON本編にもあるように新聞配達の帰りコンビニで、まだ荷崩ししてない状態の雑誌を毎月買っておりました。(私の地元は1日遅れの25日発売,,いつも悶々としておりました…)
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中学2年の頃に勉強もせずに毎日読んでた教科書 N本さんも載っております 真鍋さんも若い
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3年後にお世話になる方も中学生の頃、毎日観てました
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にっぽんのジーンズ
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デザイナーと呼ばれる人よりも作っている人が眩しかった10代
とても恵まれてた私は、この工場も実家から20分くらいの所にあり会いに行った事が有ります。
私が工場見学をする理由はこの頃の気持ちがルーツに有ります。
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日本聖公会HPより
いわゆるお坊ちゃん学校なので、こんな教会があったり。
周りはそもそも家がお金持ちってのが多くファッション的にも世慣れてました。
そんな中で服に興味を持ち、持ち前のオタクっぽい調べ方をしていきました。
(実はYMOの方がこのころはもっとはまってましたが)
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WKS:私は高校から。だから、周りが持ってるグレゴリーの旧タグのデイパックやら、「父さんにもらった~」なんて言って同級生が履いている今でいうビンテージスニーカー。それらがすごくかっこよく見えて、うらやましかったなぁ。バイトもしてなかったから、絶対買えなかったし。

TCB:で、そこからどうやって服を買うように?

WKS:私服通学の学校だったのでどうしても服は要る。当時円高がすごかったのと、雑誌で個人輸入のやり方!みたいなのがあったんだよね。そこで、FAXも無いのにLLBeanやイーストベイでスニーカー買いだしたのがファッションへの芽生えかな。それから、お決まりのビンテージ、レプリカ、DCとか裏原みたいのもちょろちょろ買ってたかな、バイトするように成ってからは。

TCB:この辺の話してるとお互い、朝まで続きそうなので。で、そこからどうして洋服の道へ?

WKS:大学生の時、いわゆる就職氷河期。私は1978年生まれでTCBより二つ上だけど、バイトして自分の意思でどんどん服買えるようになったのは18から。だから、TCBが建設バイトしたりして買ってた時代とちょうど同じなんだよね。

TCB:マッコイ、ラフウェア、ラグド!そんな時代ですね。

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今見ても豪華。
これを眺めながら「あれが欲しい、これが欲しい。バイト何日すれば良いかな?」なんて考えていました。
※舘野さんに対抗して私も掲載、workersが3冊に対して私は5冊で対抗
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WKS:そうそう。2000年ごろで就職活動が始まるんだけど、自分としてはせっかく好きになった洋服。毎日、私服でできる仕事がしたい。でもそんな仕事、たとえば出版とかあるけどそれはそれで、元からそれをやりたい!っていう熱い人が居る。だったら、そんなに服が好きなら自分もそれを仕事にすればいいんじゃないか?と思った。当時はだいぶ情報も出てきて「自分が好きな洋服は岡山行けば作れる」とかはわかりつつあったんだけど、まずは洋服を作る基礎を知るために大学出てから文化服装学院に一年科があるんで行きました。

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探しに探して唯一出てきた文化時代の写真。
最初にシャツを作った時、それを着てファッションショーもどきをした時の一枚。
自分がモデルなのですごい嫌そうな顔をしています。
どっから見ても既製品には見えないシャツしか出来ないで悶々としていたころ。

TCB:でも普通、メーカーに勤めるとか、衣料商社とかじゃなくていきなり目指すは工場?

WKS:もちろんメーカーも問い合わせたりしてみたよ。でも、良いなと思ったところは採用してなかったり。今思えば、あのままメーカーに入るより、まずは工場が正解だったけどね。工場に入れば、いろいろなメーカー・ブランドの物作りの一端を垣間見ることが出来る。それは一社のメーカー・ブランドでは出来ない事だからね。

TCB:専門学校の後はどうやって児島に?

WKS:前にも出た、TCBとWKSの共通の知人。その人に最初は井原(岡山の真ん中編・児島よりはもう少し山より)の縫製工場を紹介してもらって、夏休みには研修も行かせてもらったんだけどどうしてもその時は人手が足りていて採用には成らず。いよいよ困ったな・・・と思ってる時に「じゃぁ、もう一社。カマダさん紹介するから連絡してみたら」と言われて、専門学校の修学旅行の日だったんだけどキャンセルして採用試験受けに行ったんだよ。専門学校時代はバイトもしないで、出来る限り服作りを勉強したかったからお金も無い。修学旅行の積立金が戻ってくるのもあてにして、高速バスで岡山へ行ったんだ。

TCB:WORKERSにも岡山に来るまで紆余曲折があったんですね。では、次回そのカマダさんでWKSを面接した専務さんに登場してもらいましょう。
WKS: WORKERS舘野を縫製業の世界に受け入れてくれた現カマダJPN社長(旧専務)に登場していただきます。さっそくですが、舘野を初めて見た時の印象はどうでしたか?

KMD: 初々しかった。色が白いな~と。

WKS: だいぶ猫かぶってましたからね。その後、実際仕事をするようになってからの印象は?

KMD: やはり、「これがやりたい」という目的意識がはっきりしているので技術的な面にせよ、飲み込みは早かったね。

WKS: でも、人生初の就職で正直、世の中の仕組みがまったくわかってなかったので社長にはいろいろ教えてもらいました。たとえば、物持ってく時には納品書を必ず書けよから始まり。
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「俺は裏方だから出ない!」っていつもおっしゃるので後ろ姿で。
お互い年取りましたね・・・
※私も何度かカマダさんにお邪魔した事が有りますが、会社に目安箱が有ったりトイレに自作の『親父の小言』(トイレを綺麗に使わないとウン気が下がる)みたいなのが貼られてたのを覚えております。あんな事をするのは舘野さんの仕業だと最近まで思ってたのですが、どうやら専務が作られてるみたいでした….

KMD: 持って行ったら、ただ置いてくる・持ってくるだけじゃなく内容を確認しながら積み下ろしするとかな。

WKS: 「物持って行って帰って来るだけなら佐川急便だって、クロネコだってできる。お前が持ってかないといけない理由を考えろ!」って怒られましたからね。今思えば、社長も若かったので色々と怒って教えてもらいました。当時と比べると、やっぱり今は指導が少ないような・・・

KMD: 教えるのって、どうしても必死になるし、時には声が大きくなることもある。でもそれは、言ってもついてくる君だからこそ言った部分もある。後は必死に教えるのって疲れるからな。お互い、君も若くて色々吸収したい。俺も40代半ばで一番必死だった時。タイミングが良かったんだな。

WKS: だと思います。会社でも、それこそジーンズひっくり返すのから裁断の手伝い。縫い工場とのコミュニケーション。縫いあがった製品を最後、ボタン打ったり、洗ったりといった工程の手配から出荷まで。全部させてもらえたのが今、本当に自分の物作りの力に成っていると感じます。

KMD: 技術的な面とか、盗める部分は大いに盗んでくれれば良いと思っていたからね。

WKS: パターンCADも、最初にとっかかりで使わせてもらったのは会社でした。

KMD: ちょうど良いタイミングで前任者が居なくなって、そんな時、君はパソコン系は元々使える。そこに来て、パターンの知識もある。君にとっても学べるチャンスだけど、会社にとっても適任者だった。お互いに、利害が一致して良い関係だったんだよ、本当に。

WKS: 舘野の良い面、悪い面ってどんな部分でしたか?

KMD: 繰り返しに成るけれど、やっぱり縫製的な面、さらにコストの面、各工場の得手不得手。そういうのがわかったうえで、自分で仕事を取ってこれる所がすごいなと思ったな。悪いというのは、ある意味、良い面の裏返しでもあるのだけど、「是は是、非は非」がすごくはっきりしている性格だからたとえ、お客様であっても、非があれば受け入れられないという部分かな。でもそれは、俺もそういう部分があるから。

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今頃、ちょうどうちのサンプル縫ってるはずですが、この日はお盆前なのでやっていなく。
なので、やらせ写真です。勤めてた頃は毎日こんな感じでした。
サンプル縫う人の邪魔をしに順番の指示とか、縫う時のポイントとか伝えに行ってました。
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サンプル縫いの横に一人一台作業台置くレイアウト考えてみたり。
サンプルの手を付ける順番を一覧にするホワイトボード+マグネットシートの仕組み考えて、ホワイトボードを中古道具屋に買いに行ったり。
そうやって、試した工夫で、作業が早くなって、サンプルの売上が上がって。
試行錯誤が楽しかったです。

WKS: WORKERSとして独立させてもらう時は、うまく行くと思っていましたか?

KMD: うん、少なくとも俺は思ってたよ。在庫大きくかかえたり、お店だしたりって無理をしないで、小さなところから一歩づつやってたからね。

WKS: 最後に、今後のWORKERSに期待することは?

KMD: 少しづつで良いので、規模を維持・拡大しながら長く続けてもらいたいね。うちもそれに応えられるよう、今後も是是非非で旧態依然にならず、常に新しいアイデアを持って頑張っていくから。

WKS: ありがとうございました!

私が7年半程勤めさせてもらい、今のところ唯一務めたカマダさん。今でもWORKERSの製品を作ってもらっています。良い事、つらかったこと、いろいろありますが、基本的にはやっぱり良い会社だったなと思います。何も知らない私を教育してくれて、給料くれて生活させてくれ。そして、独立した今でも協力してくれる。あまり、「かかわる人すべてに感謝!」とか私は言わないのです。恥ずかしいのもあるし、何か、あまりにそれを年がら年中言ってると嘘っぽくなるし。でも、こうやって過去を振り返って、今の自分の環境を考えると、現カマダ社長、前カマダ社長。もっと言えば、先代の会長がカマダさんって会社やっててくれたから私もこの世界に入れたし、今WORKERSが出来てるのです。そう考えると「会長良く縫製業はじめてくれたよな」としみじみ思って感謝するしかないのです。今は亡くなってしなったのですが、私が会社入った頃は健在で、一番最初に会長室で「君が好きな2万もするようなセルビッジジーンズ、最近はそういうのがうちの仕事の割合が増えている。でも、私が始めた頃は4800円、5800円といった物が主流だった。果たして、こういう高価格帯の製品が今後も流通していくものだろうか?」と、当時70超えていた会長に聞かれました。私は、「もちろん続くと思いますし、その価値をお客様にわかっていただけるよう広報していくことが必要です」的な事を答えましたが、心の中では「70過ぎの人が普通にセルビッジってさらっと出てくるこの地方ってやっぱり本場だな~」なんて喜んでいました。

※最後のでセルビッジっていうフレーズが出てきて感動する気持ちとても分かります。井原の力織機を扱ってる方がインディゴの事をインジゴって呼んだりドゥニームじゃなくドニームって呼んでるのを聞いた時はテンションが上がったものです
私のヒストリーを振り返った時に私は人に甘えてばっかりだなと再認識しましたが、舘野さんと私が共通して言える事は、お互いにこの頃出会った大人たちにとても恵まれ過ぎてると思います。

最後の写真は私が10年前に借りたままになってる常盤新平さんの本『遠いアメリカ』
少し前に返しますって言ったら、買いなおしたって少し怒り口調で言われてたので、そっと私の本棚に戻しております。
お詫びに今度、弘兼憲史さんの本でも….
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Categolies

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